HISTORY 沿 革 |
この観測所の最大の特徴は,観測桟橋によるNearshore
Dynamicsに関する観測研究である.現在,世界には観測桟橋は3箇所にあり,それらは,ノースカロライナにある米国工兵隊海岸工学研究所(CERC)のDuck
Pier,わが国の太平洋岸にある運輸省の波崎海洋研究施設と日本海側にある大潟波浪観測所の波浪・漂砂観測専用桟橋である. |
歴史 大潟海岸における沿岸海洋観測研究は,岩垣雄一教授らの尽力により, 昭和39年に帝国石油株式会社の第1人工島(全長約315mの長大桟橋)を借用しての波浪観測から開始された. 昭和40年には大潟町四ツ屋浜に面積99m2の観測室を新営し,波浪のほか漂砂,海浜変形の現地観測も始められた.その後,第3人工島(沖合い人工島)に波高計を移設し,有線テレメーターで記録するなど施設の整備が行われ, 昭和44年大潟波浪観測所として防災研究所の附属施設となった.これに伴い,定員1名の配置が認められ,海岸災害部門の土屋義人教授が施設長となり,白井 亨助手が着任して観測研究の推進に当った. 昭和51年には,助教授の定員(助手振替え)が認められ,白井は助教授に昇格し,平成7年に定年退官するまで,海洋地質学の現地調査研究を行った. 昭和56年には観測所本館が新営され, 昭和61年帝国石油株式会社の第1人工島桟橋が撤去されるのを契機に,防災研究所の専用観測桟橋(波浪・漂砂観測用)が新設され施設の整備拡充が行われ,学内をはじめ国内外の関係者との共同研究が活発に推進されるようになった.
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設置時のミッション 海岸工学の歴史は浅く,およそ50年で,防災研究所と同年代である。この研究分野は第二次世界大戦中の上陸作戦支援のための波浪予測の研究に端を発しているため,初期の段階では波浪観測が主要な研究テーマであった。大潟波浪観測所の所設立時のミッションはまさしく「波浪観測」であり,その後,海岸工学研究の進展と社会のニーズの変化に伴い,海浜流,漂砂・海浜変形観測が加えられ,波浪,海浜流,漂砂・海浜変形の観測が継続して行われてきた。 |
研究の現状 観測桟橋は老朽化および維持管理の限界から2008年をもって撤去しました。 また,観測所本館自体も維持管理が困難なことから2012年度末をもって撤去しました。 現在は長大な新潟県の海岸を対象として,長期砂浜地形変化,海岸地下水動態などの現地調査のベース基地として使用しています. |